授業をどう見て,記述するか

昨日,センター協議会と日本教育工学会が共催し,秋田大学教育文化学部附属小学校の授業を参加した後,そこで観察した記述を交流させるワークショップがあった。よく考えてみると,このような機会はあまりなく,いい経験となった。
私は,結構疑問形で書いていることに気がついた。それはなぜなのかというと,もし事後研究会があった際は,授業者に聞いたり,コメントをしたりするということを日常的にやっているからである。これはひとつの職業病ではないだろうか,という話になった。現職経験のある先生は「私なら〜する」という記述になる傾向があるようである。また私は,インストラクショナルデザインなどの枠組みにそって授業設計の段階から見ていることにも気づいた。これも人によってはさらにゆるやかな方もおられるようだ(例えば,あえて指導案をみずに子どもの立場で授業を考えるなど)。
どれが良いというわけではないが,それぞれの立場に立った見方があること,それぞれ見方そのものを俯瞰的に見ることの重要性を感じた。